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2冊続く、「半分の月がのぼる空」短編集。
今回は4つの短編が収載されています。
<雨 fandango 前編>
裕一にとっては2年生にして3度目の、里香にとっては18歳にして初めての文化祭。
視聴覚室での○○ビデオ上映会に参加し、乗り込んでこようとした鬼大仏たち教師軍と対決する裕一と、上演予定の題目の主役を失いそうな演劇部に、代役を頼まれてしまった里香とが描かれている。
冒頭の裕一のサボりを嗜め、カメラを人質に山上祭の準備に戻らせる里香。
1年生なのに2年生に頼まれる里香。6巻でもそうだったが、周りから公認扱いを受けている二人がいい。
また、この場面で久々に里香の怒った顔の挿絵があったのもいい。
笑った顔はもちろん、怒った顔があってこその里香。
もちろん、度々怒ってはいたのだが、挿絵になったのは久々だったのでなんか嬉しかったw
さて、この前編での一番の見所は!
ずばり、視聴覚室での欲望に群がった男子生徒たちと、突入せんとする男性教員たちとのドアを隔てた苛烈なる激突のシーン。
次々と倒れていく仲間たちの屍を踏み越え、死闘に挑む漢たち。
また誰かが叫ぶ、
「お前の男魂、しかと受け取ったあ――っ!」
うおおお、と叫びながら男性教員隊のスクラムが駆け寄ってくる。
「させるかあ!」
「行かせん!行かせんぞ!」
さらに続く教師たちの体当たりによって、貴重な戦力がひとりふたりと倒れていく。
「戒崎、来るぞ!」
「おお!」
ひとり倒れれば別のひとりが加わり、ふたり倒れれば別のふたりが加わり――そして、無事にビデオを撤去し終えた後ですら
もう映画なんて関係ない。知ったことかボケ。そういう問題じゃねえんだよ。こうなったら意地だ。
男性教員対男子生徒の総力戦……いや、男と男の、魂をかけた戦いに口を出すんじゃねえ。
絶対開けさせるものか!
死守だ!
迫ってくる男性教員隊の雄叫びに、僕たちは雄叫びで答えた。
「うおおおおお――っ!負けるかあああ――っ!」思わず、ここまで引用してしまったほど熱くてハマってしまったシーン。
くだらないことにこれだけ情熱を傾ける展開とか大好きです!
<気持ちの置き場所>
恐怖の元ヤン看護婦、谷崎亜希子のとある出会い、そしてとある過去が語られる。
ある患者が亡くなった日、久々に走りに出た亜希子の前に、ふらふらと走るカムリが現れる。
明らかに場所に不相応な走りを見せるカムリに興味を示した亜希子は、ゆっくりと後を追うが…
良くも悪くも、亜希子さんの意外な(?)好みが描かれている作品。
まぁ、想像通りの子供時代を送っていた亜希子さんのとある後悔と、そしてこの出来事での出会い。
少しだけ惹かれていく亜希子さんの姿は、最初はどこか自分の中の亜希子さん像が崩れていくような気がしなくも無かったが、裕一や里香よりはずっと大人といえど、25歳なんてまだまだ若いもの(と信じたい)。
そう思って読み直してみると、大人としての亜希子さんではなく若者としての、新たな亜希子さんの魅力を感じ取ることができるようになった気がする。
そんな亜希子さんに、中原さんが語る一言。
「年取ったから諦めなきゃいけないなんてことないんですよ」やっぱり印象的だったなぁ…私が今求めている言葉だったような気すらする。
たとえ、感じること、向き合う姿勢が変わろうとも、変わらないものってあるんですよね。
<君は猫缶を食えるかい?>
タイトルそのまま。
新作ゲームをやり込むために司の家に集まった、裕一、司、山西の3人。
夜通しプレイし続けること31時間、ついに食糧を失った彼らが手を出したものは…!
大の猫好きの作者ならではの一作。
本当にくだらない(失礼!)ことをテーマに一作書き上げられるのは、この作者ならではだと思う。
一度だけ、本当に
一度だけ猫缶を食べてみたいと思わせる魔力がこの作品にはあるw
<金色の思い出 Watar>
まだ裕一と里香が入院していた頃。
裕一はとある本を里香に返してほしいと言われるが、よりよってその本は司の家に置いてきてあり…
さらには、裕一が取りに行った直前、回収車に持っていかれるというお約束の展開が待ち受けていた。
里香が父親から譲り受けた蔵書の一冊、森鴎外の『高瀬舟』を巡っての小さな大騒動。
目立った展開があるわけではないが、
裕一と里香それぞれが亡き父親に想うことが語られている。
里香の蔵書にまつわる父親の思い出は今までにも語られているが、裕一の方は珍しい。
競艇場に行った帰りにすっからかんの二人が飲んだ水のおいしさ。
美化されている部分はあるのだろうが、こういった小さな思い出って本当に金色に輝くものだよね。
あと、
ヒルに絶叫する亜希子さんがいい!ビビる挿絵の亜希子さんがさらにいい!!
…ところで、その森鴎外の『高瀬舟』について私見を。
作中でも触れられている通り、島流しにあった罪人が運ばれる舟の上でのワンシーンが描かれている。
この舟は奉行所の同心と呼ばれる者が、罪人とその親族を一人一緒に運ぶことが慣例となっていたが、この喜助という名の罪人は一人で、それも晴れやかな顔で運ばれていた。
不審に感じた同心、庄兵衛が理由を尋ねたところ、今まで都中で働いていても、全く自由になる金など得られなかった自分が、飯を食べさせてもらえる上に200文の貨幣を渡されていることが理由だという。
さらに、弟殺しの罪状について尋ねたところ、喜助は両親をすでに失い弟だけが肉親であったこと、その弟が病に罹り、生活費を兄の収入に頼っていたことを苦しく思い、自殺を図ったが失敗してしまい、駆けつけた自分に介錯を頼んだこと、それを世話役の老婆に見られたことを語る。
大正時代に書かれた作品であるが、苦しさに介錯を頼む弟の姿は、
今の時代に語られる「安楽死」の概念を早くも取り上げているものと言える。
里香はこの作中での兄弟を「幸せだった」と評している。
3巻で戦って生き続けるために手術を選んだ里香だからこそ、この答えなのだろう、私はそうは思わない。
弟は確かに幸せだっただろう。
病を患ったのは不幸であるにせよ、愛する兄に見守られ、その手で苦しむことも少なく逝く事ができた。
だが兄は不幸であっただろう。
罪に問われて島流しにあったことではなく、まだ生きることができた弟をその手にかけたのだから。
この「高須舟」の最後で、庄兵衛により、
苦から救うことが罪になるか―ということが問題提起されているが、裕一と里香が問題にしているのは「兄弟が幸せであったのか」ということとは別問題であると思う。
いかなる理由があれど、肉親を手にかけて幸せであるはずがないと、私は思うのである。
将来、里香を失うことになるであろう裕一が幸せであったと思うこととは別の次元の問題なのだ。
なんだか、最後だけ物凄く「半分の月がのぼる空」から外れてしまったが。
とにかく中々密度の高い短編集である。
シリアスなテーマ、お馬鹿な話と本編中では描くことの出来なかっただろう展開が満載され、非常に楽しい。
<雨 fandango>の後編をはじめ、真の最終巻になる第8巻が非常に楽しみである。